愛西市の名所・イベント等を紹介しています

佐屋代官所跡

代官所跡

はじめに

ここはごく近くに佐屋三里の渡しと佐屋舟場道、そして「加藤高明内閣総理大臣の碑」「きこくの生垣」もあるので合わせて見て来ました。
代官所跡の北には駐車場(1台分)もあるので車で来た場合はここに止められます。

佐屋代官所跡

佐屋路が名実ともに天下の往来となったのは、三代将軍徳川家光が上洛の折、道中の宿泊に使う「御殿」を佐屋に建てたところからといわれています。
佐屋路の隆盛に伴って尾張藩は東海・海西109村を治める代官所を佐屋に設けた。
街道の治安と、三里の渡しを監視する海の関所的な仕事も手がけていたようです。

残念ながら出入り口はチェーンがかけられ中には入れませんでした。

写真は4月の中旬に撮ったのですが、なんとか桜が散らずに残っていたので一緒に。

佐屋船場道

きこくの生垣

江戸時代旅籠の近江屋があった場所です。
天保年間に発刊された「尾張名所図会」に記されています。

きこくとは

カラタチの別名

樹高は2〜4m程。枝に稜角があり、3センチにもなる鋭い刺が互生する。この刺は葉の変形したもの、あるいは枝の変形したものという説がある。

葉は互生で、3小葉の複葉。小葉は4〜6cm程の楕円形または倒卵形で周囲に細かい鋸状歯があり、葉柄には翼がある。春に葉が出る前に3〜4cm程の5弁の白い花を咲かせる。花のあとには3〜4cmの球形で緑色の実をつける。秋には熟して黄色くなる。果実には種が多く、また酸味と苦味が強いため食用にならない。花と果実には芳香がある。葉はアゲハチョウの幼虫が好んで食べる。

鋭い刺があることから外敵の侵入を防ぐ目的で生垣によく使われた。

ウィキペディア

三里の渡し

東海道は宮(熱田)から桑名へ渡る七里の渡しルートをとりましたが、川を渡るために海上に出る七里の渡しは問題も多く幕府は佐屋宿を創設し、桑名への距離は陸路をあわせ9里と長くなるが海上に出ない三里の渡しが盛んに利用されるようになった。
結果、宮と熱田を結ぶ佐屋路が整備されることになります。

三里の渡しの名称はこの航路の長さが由来。

現在は公園の片隅に石碑のみ残っています。

公園ではみなさんゲートボールを楽しまれています。。。

加藤高明内閣総理大臣の碑